セヤナー総合Wiki - セヤナーと火事
「わあぁ〜! えらいことになってしもうた!」

 茜がキッチンで叫んだ。
 揚げ物をしていた鍋からは高々と炎が燃え上がり、天井を焦がす勢いだ。

「消化器……消化器はどこや!」

 慌ててあたりを見回してみるも、そう都合良く事は運ばない。
 茜は藁にもすがる思いで、ポケットに入っていたスマホで外出中の葵に電話をかけた。
 幸いにも電話はすぐに繋がった。

「葵〜! 助けてくれ〜!」
「え? ……はぁ? 火事!? それで、今どういう状況なの?」
「天ぷら鍋からものすごい炎が吹き出しとるんやあぁ! でもまだ燃え広がってはいないから、頑張ればなんとかなると思う!」
「ええっと、消化器ってどこにあったっけ……。ああ、焦って水とかかけないでよね!」
「なに? 水をかけたらええんか?」
「逆だよ! 油の火事に水なんかかけたら家ごと吹き飛ぶから!」
「お、おう、わかった! それで、どうしたらええんや!?」
「うーん……。燃えてる部分が鍋だけなら、空気の通り道を塞げば火は消えるから……。お姉ちゃん! なんとかして鍋を塞いで! フタをかぶせるとかして――」
「そんな無茶な! そこまで近づいたらウチの右手が焦げてしまうわ〜!」

 叫びつつも、茜は思い出す。
 昔なにかの通販番組で、燃えない布なる商品が売られていた。
 こういう時にパサァっと鍋にかぶせることで、空気の通り道を塞いで鎮火させるのだ。
 しかし当然、そんなものは今ここにない。
 だったらどうすればいい?
 茜は半分パニクった頭で周囲をぐるりと見渡した。
 なにか使えるものはないか。

 リビングのクッション……、駄目だ。普通に燃えてしまう。
 戸棚に置かれていたレジャーシート……、違う。こんなものは速攻で溶けて終わりだ。
 冷蔵庫の隣の赤いスプレー缶……あ、これはもしやハンディータイプの消化器!? 
 と、思ったらゴキブリ退治の殺虫剤だった……!

 万事休すか。
 家は焼けてしまうが、もう脱出して消防車を呼ぶしか――。
 茜がそう考えた時だった。
 ふいに背後から声が聞こえた。

「ヤデー」

 それはペットのセヤナーの鳴き声だった。
 こんな状況にも関わらず、のんきに床の上を這っている。

 茜はそれを見て思う。
 もう仕方ない。
 今はとりあえず、こいつをつれて逃げよう。
 死んでしまったら元も子もないのだ。

 茜はセヤナーを抱き上げて、キッチンを去ろうと駆け出した。
 かわいいペットは「ヤー?」という表情でぼんやりと茜を見つめている。
 その時だ。
 ふと、脳裏をよぎる思いつき。
 蘇ってくる断片的な知識のかけら。

 セヤナー。

 こいつって、どんな生き物だったっけ?
 茜は記憶をフル回転させセヤナーに関する知識を探り出す。

 ええと……まず、セヤナーは暑さに強い。
 これは有名なことだ。
 確か、ルーツとなる原種の出身地は……灼熱の……溶鉱炉、だったような……。
 ……溶鉱炉?
 そう。
 溶鉱炉だ!
 天ぷら鍋の中など比較にもならないくらいに熱い溶鉱炉。
 彼女はそこで生まれたのだ。
 無論それは最古の原種の話であって、今ここにいるセヤナーはいわゆる品種改良によって身体能力がダウンしたただのイエセヤナーなのであるが……。

 茜はピタリと足を止め、セヤナーを見つめて言った。

「お前、いけるか?」
「……ヤ?」

 返事を待たず、茜はセヤナーを天ぷら鍋に向かってぶん投げた。

「頼む! セヤナー!」
「ヤ? ヤアァァァ----!」

 空を舞ったセヤナーは、とろん、と鍋を包み込むように着地して、

「ア、アツッ……!? ……ヌクイー」

 一瞬は熱に驚いたらしきセヤナーだったが、その様子が平常運行へと戻るのに長い時間はかからなかった。
 彼女はまるで、少し熱めの銭湯にでも入っているかのようにノホホンとした感じで天ぷら鍋の中に浸かっている。
 その時にはもう、完全に鎮火していた。
 彼女がフタとして鍋に覆い被さったおかげで、炎は空気を取り込めなくなり消え去ったのだ。

「よ、よかった……」

 茜はそれを見て、どっと膝から崩れ落ちた。
 その後、帰宅した葵にしぼられたのは言うまでもない。

     ◆

 それから一週間後。
 琴葉家には(天井の一部こそ焦げ付いてしまったが)普段と変わらない平穏な日々が戻ってきているはずだった。
 しかしそうはならなかった。
 あの時以降、セヤナーが茜に対してよそよそしくなってしまったのだ。

「おお、セヤナー! お前は今日もかわいいなぁ」

 そう言って茜はソファでぼーっとしていたセヤナーの隣に座り込む。
 しかしセヤナーは微妙に抑揚のかけた声で「セヤナー」とだけ儀礼的につぶやき、茜と少しだけ距離をとった。

「せ、セヤナー……。まだ許してくれへんのか……?」

 茜は涙ながらに言うも、セヤナーは表情の読めない顔でジッと茜を見つめるのみだ。
 ハッキリとした拒絶こそしないが、暗に茜を攻めているのは本人には痛いほど伝わっている。

 おそらくだが、この頭の良いペットにはわかってしまったのだろう。
 あの時の茜が、イチかバチかの賭けをしたことを。
 結果だけを見れば最善手だったものの、セヤナーがもし油の高熱に耐えられなかったら今頃は……。
 無論、当時は軽いパニック状態でそこまで考えが及んでいなかったのかもしれないが、曖昧な知識にもとづく行動でセヤナーを危険に晒した事実に変わりはない。

「ごめん、ごめんなセヤナー……」

 茜はそう言って、うなだれたままリビングを出て自室のほうに引き返していった。
 そのあまりに悲しそうな背中を見かね、同室にいた葵がセヤナーに言った。

「セヤナー。セヤナーが怒るのも無理ないけど、そろそろお姉ちゃんを許してあげて」
「……」
「セヤナーは、お姉ちゃんがあの時天ぷら鍋でなにを作ろうとしていたかわかる?」
「……ヤ?」
「エビフライだよ」
「……エビフライー?」
「お姉ちゃん、セヤナーにおいしいエビフライを食べさせてあげたいって、料理下手なくせに毎日揚げ物の練習をしていたんだよ」
「ヤー……。セヤッタンカー……」
 虚空を見つめていたセヤナーが、葵のほうに向き直る。
 それからなにかを考えるように少しつぶれ、その反動でポテッとカーペットの上に飛び降りた。
 そしてゆっくりと茜の後を追い、その小さな背に向けて言った。

「アカネチャンー アリガトナー」


END